2022年08月31日

萩の花

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.31第一面より引用掲載させていただきました。
萩の花ひたすらそよぐ真昼間の秋の浮力はわれにありなむ   國清辰也『愛州』

 庭の萩の花がそよいでいる。長く垂れた細かい枝はまだ花をつけてはいない。が、秋が来たら、この枝には赤紫の花が着き、その花が風に揺れるだろう。作者はそんな風に想像する。
 結句の「ありなむ」は「きっとあるだろう」という意味。この夏は暑く厳しかった。が、秋になれば、私の体は自由になり、浮力を得るに違いない・・・そんな希求がこの結句に滲んでいる。
 長かった八月も今日で終わり。明日から九月。(大辻隆弘)
  


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2022年08月30日

「おこまぐさ」

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.30第一面より引用掲載させていただきました。
駒草に吹き上げやまぬ
  霧の音
   伊東肇『伊東肇集

 浅間山系湯の丸高原での作という。尾根のガレ場には駒草の群生地がある。作者は北軽井沢に山荘があり、浅間山周辺は吟行地とか。
 横から見ると馬面の「おこまぐさ」と呼ばれ修験の行者に大事にされてきた高山植物である。人臭いが神さまの巧みな技がここに刻まれているようだ。
 霧が吹き上げる。激しくベールに包まれる。なぜ山頂の砂礫地に生えるのか。駒草は生存の危機にさらされながら必死で美しさを護っている。いのちに打たれる。(宮坂静生)
  


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2022年08月29日

雨の音

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.29第一面より引用掲載させていただきました。
水音の水の揺らぎに雌雄あるやうなり午前一時を過ぎて   尾崎まゆみ『ゴダールの悪夢』

 午前一時、眠りにつこうとする作者の耳に雨の音が聞こえてくる。
 ピタ、ヒタ、ヒタ、ピタ、ポチャン。耳を澄ましていると、その音のひとつひとつは微妙に違う。高く細かい音。低く鈍い音。力強く激しい音。その音を聞きながら、作者は「ああ、水にも雌と雄があるのだな」と思う。
 実にあてどない思いつきである。そんな栓(せん)もない思いに浸りながら、作者はやがて眠りの沼に落ちてゆく。(大辻隆弘)
  


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2022年08月27日

独自の文化は残っているだろうか?

今日は「『男はつらいよ』の日」
旅の魅力は「解放感」

日常と違う空気を味わう。それが旅の魅力の一つかもしれない▼日常生活から離れることで、生活に関わるさまざまな煩わしさを一時的にでも忘れることができる。この“気楽さ”を感じる意識が「解放感」。「人間を肉体的にも精神的にもくつろがせてくれる」と、社会学者の前田勇さんが障害者福祉総合情報誌『ノーマライゼーション』で書いていた▼きょうは「『男はつらいよ』の日」。1969年に映画シリーズ第1作の公開にちなむ。旅先で出会ったマドンナに失恋する寅次郎の恋愛模様を、日本の各地の美しい風景とともに描いた。50ある作品のロケ地は、44都道府県に及ぶ。その折々の景色が魅力だったが、監督の山田洋次さんは「映したい風景がこの国から消えようとしている」と嘆いていた▼旅心を刺激されて、東京駅の東京ステーションギャラリーで開催中の「東北へのまなざし」展をのぞいた。戦前から戦中に東北地方を訪ねた、ドイツの有名な建築家ブルーノ・タウトや民芸運動を展開した柳宗悦らの遺品や作品群が迎える。当時は後進的と見られていたが、実は独特の「文化の揺籃(ようらん)」だった▼このまま、東北に向かう列車に飛び乗り込みたくなる。独自の文化は、まだ残っているだろうか。
※日本農業新聞2022.08.27第一面「四季」より引用掲載させていただきました。

  


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2022年08月27日

ひぐらしと杖

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.27第一面より引用掲載させていただきました。
蜩(ひぐらし)や杖のまわりがくらくなる   関口比良男『関口比良男集』

 「折りたたむときに露けき手足かな」という作者の句もある。
 足腰が自在に動かない。歩くという細部にこだわらないで、すいすいと足を出す抽象的な行為が難しくなる。一歩が重たくなり、次の一歩までに考えが入る。足はこう出すのでよかったかなと思案する。杖のまわりが不安になる。
 かなかなが鳴く。急に今年の秋を意識する。去年は空を見て、雲に張りがなくなったなどという期分があった。暮らしに空を見よう。改めて自然に気付いた句。(宮坂静生)
  


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2022年08月26日

夏の記憶

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.26第一面より引用掲載させていただきました。
この夏の記憶を語れベランダに咲く向日葵(ヒマワリ)よ種成す前に   吉田直久『縄文の歌人』

 ベランダにヒマワリが咲いている。夏の初めから今までがんばって花を繋いできた。ヒマワリは、夏の一日一日を自分の中に畳み込むようにして晩夏を迎えたのだ。
 なあ、ヒマワリ君よ。この夏もいろいろなことがあったなあ。しばらく僕と夏の思い出を語りあってみないかい・・・。作者はそんな風に花に話しかける。
 秋が来れば種をつけて枯れてゆくヒマワリ。その花期もあと少し。(大辻隆弘)
  


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2022年08月25日

新涼の鴉

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.25第一面より引用掲載させていただきました。
新涼の鴉の顔が透きとほる   渥美人和子『桐一葉』

 立秋を経て、八月の盆過ぎになると、朝夕の涼しさの中で、黒い鴉の顔が一瞬、透き通ってみえたという。私は「うって返し」でもされたような、そんなことあるという気分であるが、面白いと感じる。空気は暑さで精気をなくした万物に透明感を与える。秋はそんな季節である。
 コロナ禍はおさまらない。ウクライナでの戦争の悲惨はバンドゥーラの音色もいっそう悲しませる。世界の鴉よ立ち上がり、人類に反逆せよ、檄を飛ばしたい。(宮坂静生)
  


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2022年08月24日

湧き出す清水

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.24第一面より引用掲載させていただきました。
山へ行きミシミシ水を飲んでくるこの簡明を吾は愛せり  雁部貞夫『夜祭りのあと』

 夏の山に登る。岩の割れ目から湧き出す清水を両手ですくって飲む。冷たさが全身にゆきわたり生き返ったような気分になる。あの爽快感を何と表現すればいいのだろう。水は「ミシミシ」と音を立てるように全身に広がってゆく。実にシンプルな快感だ。私はいま生きている。そんな生の充溢を感じる一瞬である。
 作者は、ヒマラヤの山々を踏破したこともある登山家。八十歳を超えた今も、山を歩き、清水に手を浸す。(大辻隆弘)
  


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2022年08月23日

白河の関

深紅の大優勝旗が「白河の関」を一世紀余の時を刻んで初めて越える

江戸を立った芭蕉はここでようやくみちのくを旅する心を固めた▼紀行文『おくのほそ道』に「白川の関にかゝりて旅心定りぬ」と書いた。「白河の関」は、関東と東北の境に設けられたみちのくへの玄関口。5世紀ごろ蝦夷の南下を防ぐとりでとして造られた。勿来関(なこそのせき)、念珠関(ねずがせき)とともに奥羽三関と呼ばれる。遺跡が福島県白河市の旗宿にある▼古くから文化人憧れの和歌の名所。西行や一遍、宗祇らが訪れ、能因法師は「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白川の関」と詠った。都から遠く離れ、さぞかし感慨深かったのだろう。そんな“関所”に阻まれてか。1世紀余の時を刻んで越える優勝旗である▼きのうの全国高校野球選手権大会で、宮城県の仙台育英学園高校が優勝した。東北勢は、1915年の第1回大会で秋田中学(現秋田高校)が決勝で負けてから、春夏あわせて12回も決勝に駒を進めながら、あと一歩のところではね返されてきた。記憶に新しいのは4年前の金足農業高校(秋田)。全員が県内出身の「雑草軍団」で挑んだが及ばなかった。東北待望の「白河の関」越えに拍手を送る▼きょうは二十四節気の「処暑」。秋風を感じる季節に入ったが、みちのく旋風の熱気はやまない。
※日本農業新聞2022.08.23第一面「四季」より引用掲載させていただきました。  


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2022年08月23日

真夜の鵙(もず)

おはよう!今日の名歌と名句
※日本農業新聞2022.08.23第一面より引用掲載させていただきました。
おかあさんと呼ぶ母不在
真夜の鵙(もず
   前川弘明『蜂の歌』

 「虐待死した幼児あり」と前書きがある。他に「幹打てば八月の木のどれも泣く」という句もある。
 生きてゆく上で一番大事なことはなにか敏感な作者だ。掲句の「母不在」とはこれほど痛烈な哀しみはない。作者は真夜中の鵙の激しい声を聞き、いたたまれない気持ちになった。それは「おかあさん」と呼び続ける虐待死させられた子の永遠に、本当の母を捜す叫びの反響であった。八月とは母を捜す月なのであろう。戦場でも母を捜す子がいる。(宮坂静生)
  


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