2021年06月04日

今日の言葉「隣り百姓」

「隣り百姓」という言葉がある。隣のまねをして自主性がないのか、それとも協調性の表れなのか。人によって受け止めが違う。
▼あなたは、どう感じますか?▼
まず好意的な方から。古来、日本の米作りは、共同体によって支えられてきた。この季節なら、隣が田植えを始めれば、それにし倣う。水を分け合い、助け合う必要があるからだ。篤農家をまねることで自分の技術も上がる。反対に隣をまねるだけなら独創性は育たない。まさに付和雷同、ムラ社会特有の事なかれ主義との見方もある▼(以下中略)

『日本人とユダヤ人』の著者イザヤ・ベンダサン(山本七平)は、肯定派。「自ら隣り(模範)を選び、その通りにやるのは立派な一つの自主性」と見る。まねるのは技量が同じか、追いつこうと努力することで、非難されることではないと▼ベンダサンはこれを日本特有の「キャンペーン型稲作」と命名、「天の時、地の利、人の和」と評した。模倣を探求、雷同を共生と読み換えれば、納得がいく▼さて空前の米余り。ここは「隣り百姓」の精神で、力を合わせ「人の和」で乗り切る時ではないか。【6月4日発刊日本農業新聞一面コラム欄「四季」より引用】

  


Posted by ゴンザレスこと大西實 at 09:03Comments(0)出来事