2018年08月09日
島ふるさと土曜塾開催のお知らせ!
あなたの知らない島学区を、この機会に知ろう!「長命寺参詣曼荼羅について」
講師:長命寺副住職 武内健斗さん
8月25日(土曜日)午前10時から、島コミセンで開催します!詳しくは32-2510へ



長命寺:琵琶湖畔にそびえる長命寺山の山腹に位置し、麓から本堂に至る800段余の長い階段で知られる。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島宝厳寺から船で長命寺に参詣した。
伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。
このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。
その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。
その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。


実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の寺号の初見は、承保元年(1074年)3月2日付の「奥島庄司土師助正畠地寄進状」という文書である。
長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。それによると、中世の長命寺は比叡山延暦寺西塔の別院としての地位を保ち、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えていた。しかし、永正13年(1516年)、佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍は全焼。現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである。



長命寺参詣曼荼羅とは、長命寺の境内と付近の景観を描いたもの。
慶長13年(1608)の鐘楼の再建を最後にすべての諸堂舎の再建が終わった、この時期の前後に描かれたものとされる。
丸く描かれた長命寺山を背景に本堂を中心に、その東に護摩堂・三重塔、西に三仏堂・護法権現堂・鐘楼などの主要建物を描いて、さらにルートが詳しく描かれて、多くの信者が参詣する姿をいかにも観音霊場らしく描かれている。
たくさんの小舟、巡礼者たちを乗せた小舟が岸辺に、軒を並べる茶店や町家、石段を登る巡礼者、大滝に打たれて身を清める者、5人の男が力を合わせて丸太を曳く木曳きなどの中世の姿がよく描かれている。
さらに、本堂前広場の左端に、満開の桜の木に囲まれ中で蹴鞠を行っている2人の僧と2人の稚児が描かれている。
長命寺縁起には勅許の鞠場として、天智天皇が蹴鞠遊びをここでされたとする伝承があるのだ。このように、聖地長命寺の賑やかな景気を鮮やかに描くのは、参詣曼荼羅の特質であった。
講師:長命寺副住職 武内健斗さん
8月25日(土曜日)午前10時から、島コミセンで開催します!詳しくは32-2510へ



長命寺:琵琶湖畔にそびえる長命寺山の山腹に位置し、麓から本堂に至る800段余の長い階段で知られる。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島宝厳寺から船で長命寺に参詣した。
伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。
このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。
その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。
その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。


実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の寺号の初見は、承保元年(1074年)3月2日付の「奥島庄司土師助正畠地寄進状」という文書である。
長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。それによると、中世の長命寺は比叡山延暦寺西塔の別院としての地位を保ち、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えていた。しかし、永正13年(1516年)、佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍は全焼。現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである。



長命寺参詣曼荼羅とは、長命寺の境内と付近の景観を描いたもの。
慶長13年(1608)の鐘楼の再建を最後にすべての諸堂舎の再建が終わった、この時期の前後に描かれたものとされる。
丸く描かれた長命寺山を背景に本堂を中心に、その東に護摩堂・三重塔、西に三仏堂・護法権現堂・鐘楼などの主要建物を描いて、さらにルートが詳しく描かれて、多くの信者が参詣する姿をいかにも観音霊場らしく描かれている。
たくさんの小舟、巡礼者たちを乗せた小舟が岸辺に、軒を並べる茶店や町家、石段を登る巡礼者、大滝に打たれて身を清める者、5人の男が力を合わせて丸太を曳く木曳きなどの中世の姿がよく描かれている。
さらに、本堂前広場の左端に、満開の桜の木に囲まれ中で蹴鞠を行っている2人の僧と2人の稚児が描かれている。
長命寺縁起には勅許の鞠場として、天智天皇が蹴鞠遊びをここでされたとする伝承があるのだ。このように、聖地長命寺の賑やかな景気を鮮やかに描くのは、参詣曼荼羅の特質であった。
Posted by ゴンザレスこと大西實 at 16:30│Comments(0)
│学区まちづくり協議会事業
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