2020年07月12日
ふるさと歴史探訪シリーズその4
近江八幡市円山町「圓山神社」

社伝によれば、旧社号は十禅師と称しており、坂本山王七社の内の十禅師を勧請して室町期に建立されたと伝える。社頭に御影大岩を御霊と崇尊した姿が残っており、坂本の霊地に準じた形態をもつものから、神縁の深いことを知ることが出来るとも伝えられる。戦国時代佐々木氏の支流西条氏が城砦をこの地に営むと伝える。寛政元年氏子奮起して社頭を興建して、古式を残すに勤めた。明治九年村社に列し、同四十二年神饌幣帛供進指定神社となった。

御祭神 天津彦火瓊瓊杵尊 御神紋 左三ッ巴



祭礼の特徴 「大松明」
5m以上はあろうかという大きな青竹3本をひと括りとし、先端に御幣を付けてから地面に立ててしっかり固定する。その底辺部の周囲にもちょうど八角形になるように等間隔に杭を打って囲い、その中に藁をいっぱいに敷き詰める。青竹の根元にはヨシを穂先が外側を向くように放射状に取り付ける。根元から順番に縄を通してヨシを蜘蛛の巣状に編み上げてゆく。完成した松明は地面に美しい幾何学模様を描き出す。
地域の概要
西の湖沿岸にある三角州地帯の一角に位置する。立ち並ぶ家々の前にヨシの群落地が広がり、古くからヨシの生産加工で知られる。農作業にはヨシ原を越えて向かうため、小船に農具を積んで湖面を行き交った。国の重要文化的景観「近江八幡の水郷」の構成地として町全体が指定されている。


先ほどの石段写真の天辺まで登ったあたりに、寳珠寺(ほうじゅじ)という天台宗の寺があります。老朽化がしていましたが、重要文化的景観に指定されたことで改修されたようです。
なお、円山町の「近江八幡の水郷」は国が選定する「重要文化的景観」第1号として2006年1月26日に指定されています。この圓山神社と寳珠寺もヨシ群とともに景観構成要素に含まれています。今回紹介してませんが、石段を挟んで寳珠寺の反対側の近くには「清見寺(せいけんじ)」というヨシを使用したヨシ屋根が残る寺院があります。

社伝によれば、旧社号は十禅師と称しており、坂本山王七社の内の十禅師を勧請して室町期に建立されたと伝える。社頭に御影大岩を御霊と崇尊した姿が残っており、坂本の霊地に準じた形態をもつものから、神縁の深いことを知ることが出来るとも伝えられる。戦国時代佐々木氏の支流西条氏が城砦をこの地に営むと伝える。寛政元年氏子奮起して社頭を興建して、古式を残すに勤めた。明治九年村社に列し、同四十二年神饌幣帛供進指定神社となった。

御祭神 天津彦火瓊瓊杵尊 御神紋 左三ッ巴



祭礼の特徴 「大松明」
5m以上はあろうかという大きな青竹3本をひと括りとし、先端に御幣を付けてから地面に立ててしっかり固定する。その底辺部の周囲にもちょうど八角形になるように等間隔に杭を打って囲い、その中に藁をいっぱいに敷き詰める。青竹の根元にはヨシを穂先が外側を向くように放射状に取り付ける。根元から順番に縄を通してヨシを蜘蛛の巣状に編み上げてゆく。完成した松明は地面に美しい幾何学模様を描き出す。
地域の概要
西の湖沿岸にある三角州地帯の一角に位置する。立ち並ぶ家々の前にヨシの群落地が広がり、古くからヨシの生産加工で知られる。農作業にはヨシ原を越えて向かうため、小船に農具を積んで湖面を行き交った。国の重要文化的景観「近江八幡の水郷」の構成地として町全体が指定されている。


先ほどの石段写真の天辺まで登ったあたりに、寳珠寺(ほうじゅじ)という天台宗の寺があります。老朽化がしていましたが、重要文化的景観に指定されたことで改修されたようです。
なお、円山町の「近江八幡の水郷」は国が選定する「重要文化的景観」第1号として2006年1月26日に指定されています。この圓山神社と寳珠寺もヨシ群とともに景観構成要素に含まれています。今回紹介してませんが、石段を挟んで寳珠寺の反対側の近くには「清見寺(せいけんじ)」というヨシを使用したヨシ屋根が残る寺院があります。
Posted by ゴンザレスこと大西實 at 08:30│Comments(0)
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