2020年07月11日
ふるさと島歴史探訪(白部若宮神社)
白部若宮神社
西の湖から長命寺川が琵琶湖へと注ぐその北岸に位置し、白部山を挟み王之浜と白部に分かれる。かつて湖に面した集落だったが、昭和中期の大中の湖の干拓事業によって内陸部となり景観が著しく変化した地域のひとつ。国の重要文化的景観「近江八幡の水郷」の構成地として白部全体が指定されている。
御祭神 大國主神 御神紋 七曜星
御由緒 創立年代不詳であるが、所蔵の大般若経巻二百二十二に天養元年首巳刻奉書写華とあることからそれ以前と考えられる。延宝六年奉造立若宮八幡社頭棟礼がある。明治九年に加列。
〔本殿〕一間社流造 間口一間四尺 奥行五尺八寸
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間

白部若宮神社 春季例大祭の概要
松明の特徴 高さ5mほど、笠の下に「ノォガケ」と呼ばれる菜種ガラの飾りが施される。
祝詞松明 竹の担ぎ棒が取り付けられる。
大松明 青竹3本を先端で組んでテント状に立て、その中に松明を作った後の残り屑などを積み上げ、これに境内への入口の木に掛けておいた勧請縄を外してきて巻き付ける。



〔その他〕
境内社 行司神社 稲荷神社 波口神社 東西祇園牛頭天皇社 道陸神社
近江八幡市の市街からほど近い琵琶湖東岸と近江の水郷として知られた西の湖の間に広がった水田地帯の一角に位置する白王町。湖岸道路とかつて琵琶湖の最大の内湖であった大中之湖(現在は干拓され農地)に突き出した半島の山裾に白王(白部)の集落があって、集落の東外れに若宮神社が鎮座している。また、半島の突端には、かつて波打ち際の岬であった処に、境内社として波口神社(波口大明神)(ばくちだいみょうじん)がある。
町前道路といわれる、かつて大中之湖干拓時に堤防の役目をしていた道路から、参道が真っ直ぐ神社の方に向けてあり、正面に朱色に塗られた大鳥居を潜ると急な石段になっていて、石段頂上付近にちょうど境内に入るところの両側の勧請木に勧請縄が掛けられています。この縄の形状は、近江八幡市に隣接する隣町(現在は東近江市)の能登川町伊庭で見られる勧請縄に酷似していて、集落間のつながりが感じられる。(村の長老の古くからの言い伝えに寄ると、白部の祖先は愛知川の砂州として伸びた陸地(現在は佐々木葭と呼ばれる葭原)伝いに伊庭から移り住んだと昔話が伝承されている事からも、感じ取れる。)
西の湖から長命寺川が琵琶湖へと注ぐその北岸に位置し、白部山を挟み王之浜と白部に分かれる。かつて湖に面した集落だったが、昭和中期の大中の湖の干拓事業によって内陸部となり景観が著しく変化した地域のひとつ。国の重要文化的景観「近江八幡の水郷」の構成地として白部全体が指定されている。
御祭神 大國主神 御神紋 七曜星
御由緒 創立年代不詳であるが、所蔵の大般若経巻二百二十二に天養元年首巳刻奉書写華とあることからそれ以前と考えられる。延宝六年奉造立若宮八幡社頭棟礼がある。明治九年に加列。
〔本殿〕一間社流造 間口一間四尺 奥行五尺八寸
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間

白部若宮神社 春季例大祭の概要
松明の特徴 高さ5mほど、笠の下に「ノォガケ」と呼ばれる菜種ガラの飾りが施される。
祝詞松明 竹の担ぎ棒が取り付けられる。
大松明 青竹3本を先端で組んでテント状に立て、その中に松明を作った後の残り屑などを積み上げ、これに境内への入口の木に掛けておいた勧請縄を外してきて巻き付ける。



〔その他〕
境内社 行司神社 稲荷神社 波口神社 東西祇園牛頭天皇社 道陸神社
近江八幡市の市街からほど近い琵琶湖東岸と近江の水郷として知られた西の湖の間に広がった水田地帯の一角に位置する白王町。湖岸道路とかつて琵琶湖の最大の内湖であった大中之湖(現在は干拓され農地)に突き出した半島の山裾に白王(白部)の集落があって、集落の東外れに若宮神社が鎮座している。また、半島の突端には、かつて波打ち際の岬であった処に、境内社として波口神社(波口大明神)(ばくちだいみょうじん)がある。
町前道路といわれる、かつて大中之湖干拓時に堤防の役目をしていた道路から、参道が真っ直ぐ神社の方に向けてあり、正面に朱色に塗られた大鳥居を潜ると急な石段になっていて、石段頂上付近にちょうど境内に入るところの両側の勧請木に勧請縄が掛けられています。この縄の形状は、近江八幡市に隣接する隣町(現在は東近江市)の能登川町伊庭で見られる勧請縄に酷似していて、集落間のつながりが感じられる。(村の長老の古くからの言い伝えに寄ると、白部の祖先は愛知川の砂州として伸びた陸地(現在は佐々木葭と呼ばれる葭原)伝いに伊庭から移り住んだと昔話が伝承されている事からも、感じ取れる。)
Posted by ゴンザレスこと大西實 at 17:41│Comments(0)
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