2021年08月04日

オリンピック物語「心に残る蘊蓄(うんちく)話」柔道競技の巻

アントン・へーシンク(柔道家)オランダ人を知っていますか?
現在東京五輪の真っ最中、「柔道」ジュドウjudoは、日本で誕生した競技で、日本のお家芸でもありますが、今や、全世界の人々が知る・愛するスポーツでもあります。この競技がマイナーからメジャーになった、きっかけの話を今日はお伝えします。
オリンピック物語「心に残る蘊蓄(うんちく)話」柔道競技の巻

今から57年前、1964年東京オリンピックの決勝戦9分22秒で、アントン・ヘーシンク選手は神永昭夫選手を袈裟固めで破った。勝負ありブザーが武道館に轟いた。
次の瞬間、ヘーシンク選手は身を起こすと、グローブの様に大きな手を観客席の或る方向へ突き出した。そしてオランダ語で、
「来るな! 来るんじゃない!!」と、まさに鬼の形相で叫んだ。突き出された大きな手の先には、驚喜したオランダ選手が、開会式の時と同じユニフォームで国旗を手に畳に駆け上がろうとしていた。
その選手達を、アントン・ヘーシンク選手は必死で止めたのだった。後日、その時の様子をヘーシンク選手は、
「武道館の畳は、決勝を闘う私と神永だけのものだ。それ以外の者は、何人たりとも上がらせる訳にはいかない。それが、柔道という日本の武道の流儀だからだ」と、語っていた。
応援に来た選手達の気持ちも、ヘーシンク選手は心得ていて、神永選手と共に居住まいを正し、礼をし握手すると、自ら畳を降りてオランダ選手団の中に飛び込んでいった。


その男は止めた。全力で止めた《2020に伝えたい1964》
オリンピック物語「心に残る蘊蓄(うんちく)話」柔道競技の巻
1964年東京五輪柔道無差別級決勝戦で、神永選手にへーシンク選手が勝った瞬間、オランダ柔道応援団(柔道役員?)が、競技場畳の上に上がろうとするのを、制止した瞬間。

 柔道家アントン・ヘーシンク氏は1964年に開催された東京オリンピックの柔道無差別級で金メダルを獲得し たオランダの英雄と言われています。柔道が日本のお家芸と考えられていた時代、その柔道発祥の地、日本でヘーシンク氏が勝利したことは、その後の柔道の国際化を加速させたと言っても過言ではありません。しかし、それ以上に人々の記憶に残り、これからも語り継がれるものは、ヘーシンク氏が決勝戦で見せた対戦相手への敬意ある姿と言われています。その姿は、東京2020オリンピックに出場する後進たちの手本ともなる、理想的なメダリスト像でした。
後年、東京オリンピックの想い出を、日本のファンに向かって、「日本の武道で勝ってしまった外国人の私を、ましてや、勝てなかった神永選手を、決して責めないで欲しい」続けて、「もしあの時、私が神永に敗れ、日本が金メダルを独占していたならば、マイナー競技であった柔道が、その後もオリンピック競技であり続けることは無かっただろう」と、語っていた。
事実、東京の次のメキシコでは、柔道は正式種目から外された。そして、その4年後のミュンヘン大会で、復活した。東京オリンピックからの歳月で、柔道が急速に世界中に広まった証拠だろう。さらにヘーシンク氏は、「私の事を、嘉納治五郎先生は『柔道をオリンピックに残した男』と認めて下さるだろう」とも語っていた。
オリンピック物語「心に残る蘊蓄(うんちく)話」柔道競技の巻

57年前と同じ会場で行われる2021年の東京オリンピック柔道。
2010年に惜しくも他界されたアントン・ヘーシンク氏は、多分、嘉納治五郎先生の隣席から、暖かい声援を送って下さることだろう。

※上記の記事は:山田将治(READING LIFE公認ライター)「2020東京五輪に伝えたい1964東京五輪の事実」より引用させていただきました。


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Posted by ゴンザレスこと大西實 at 10:15│Comments(0)出来事

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