2020年09月20日
ふるさと島歴史探訪シリーズその8「朝日の名号」
朝日の名号(中之庄町)
今から千百年ほど前のことです。島村に、とても気立てのよい信心深い信左衛門、おのぶという老夫婦が住んでおりました。
夫婦仲のよいことは村でも好評でした。しかし運命は皮肉で、この親切なお婆さんは、穂の葉先で目をついたのがもとで、とうとう視力を無くしてしまいました。
それからの、お婆さんの不自由というものは、一通りではありませんでした。なんとかして元通りにしたいものだと、医者という医者には、ほとんど診てもらいましたが、どうしても、元のようにはなりませんでした。
主人の信左衛門も、お寺や、お宮へも参って色々と祈願されましたが、中々御利益はありませんでした。それに不幸はそれだけではありません。あれやこれやとお婆さんの世話をして下さったおじいさんは、その年の秋の暮れに、遠いあの世へ旅立ってしまいました。たった一人、後に残ったお婆さんは、もう、この世には、神様も仏様もないものと、祖先幾代か、住んでいた懐かしの家を捨てて、長命寺で行をしようと出かけました。 しかし、無理に無理をした身体は、とうとう中之庄の坂を登りつめると一歩も動かなくなりました。お婆さんも、しかたなく、傍にあった石に、腰をおろしたまま眠るともなく、ぐったりと倒れてしまいました。
しばらくすると、その上の小高い大きな岩の上に、亡くなったはずのお爺さんが、白衣を着て姿を現しました。お婆さんは、思わず、はっとしました。そして我に帰られた時、はじめて眼を覚ましました。今のは夢だったのです。
けれど、お婆さんは、これはきっと何かの知らせにちがいないと思いました。それから七日間、あんな寂しい、しかも寒い冬の日に、じっと石の上で、何も食べず、何も飲まずに、行をして、寒いことも忘れて祈り続けました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱える弱々しい声は夜になっても止みませんでした。
通りかかった村の人たちが、これを見つけて驚きました。心配して止めさせようとしましたが、お婆さんは、ただ数珠を持って、頭を下げるだけで、一向に聞き入れそうにありません。村の人は「これは行をしておられるのだな。偉い、さすがおのぶさんだ。」と思いました。親切なこの村の人は、家に帰って、御飯を持ってきてやりました。けれども、お婆さんは手をつけようともしませんでした。
頬の肉はすっかりおちて、ちょっと見ると生きているのか、死んでいるのか分からない程になりました。昨日の人が告げたのか、大勢の村人がやってきました。そして、皆もう止して家に帰るようにと、進めますけれども、お婆さんは、前の通り頭を下げるだけです。
他人から見たら、もう死んでいるとしか思われませんが、婆さんは、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言う度毎に精神がしっかりしてくるのでした。とうとう最後の日の七日目が来ました。
お婆さんは「今日で最後だ。」と思いながら、なお一心に祈っています。暗い夜もほのぼのと明けてまいりました。
陽ははるか、彼方の山の端から平和な村へ光を投げかけました。その瞬間です!!
今の今まで、塞がっていた、潰れたはずの眼がぱっと開きました。今まで見えなかった眼に、さっと明るい朝の光がはっきり写りました。
それにまだまだ不思議なことには、大きな岩の上に、弘法大師様のお姿が見え「南無阿弥陀仏」と岩に掘られた六字が、はっきりと陽に照らされてわかるのです。お婆さんはただもう、有難くて泣き崩れました。
やがて、村の人たちが、どうなっているだろうと、気遣いながら、来て見ると、昨日まで塞がっていた、お婆さんの目が開いて、其の瞳さえ光っているではありませんか。
お婆さんは、今まで親切にしていただいた御礼を言って、さっきの事を話しました。
村人共も、皆この不思議に驚きました。そしてお婆さんの信心がそうさせたものだと思って感心するばかりでした。
そのうち、不思議なことが起こりました。さっきまで朝日に照らされて、はっきりと分かっていた六字の名号が見る見るうちに見えなくなったのです。けれどそれも二・三日の後にわかりました。
それは、お婆さんが見たと同じ時だけ名号が現れるのです。それから後、誰言うとなく「朝日の名号」と呼ぶようになりました。
皆さんの中に、まだ見たことのない人があるなら、一度行って見なさい。きっと、南無阿弥陀仏の六字の名号がはっきり見られるでしょう。しかし朝早く陽の上がる時刻でなければみられません。参考図書:島村郷土読本 第二十四課 朝日の名号 より
今から千百年ほど前のことです。島村に、とても気立てのよい信心深い信左衛門、おのぶという老夫婦が住んでおりました。
夫婦仲のよいことは村でも好評でした。しかし運命は皮肉で、この親切なお婆さんは、穂の葉先で目をついたのがもとで、とうとう視力を無くしてしまいました。
それからの、お婆さんの不自由というものは、一通りではありませんでした。なんとかして元通りにしたいものだと、医者という医者には、ほとんど診てもらいましたが、どうしても、元のようにはなりませんでした。
主人の信左衛門も、お寺や、お宮へも参って色々と祈願されましたが、中々御利益はありませんでした。それに不幸はそれだけではありません。あれやこれやとお婆さんの世話をして下さったおじいさんは、その年の秋の暮れに、遠いあの世へ旅立ってしまいました。たった一人、後に残ったお婆さんは、もう、この世には、神様も仏様もないものと、祖先幾代か、住んでいた懐かしの家を捨てて、長命寺で行をしようと出かけました。 しかし、無理に無理をした身体は、とうとう中之庄の坂を登りつめると一歩も動かなくなりました。お婆さんも、しかたなく、傍にあった石に、腰をおろしたまま眠るともなく、ぐったりと倒れてしまいました。
しばらくすると、その上の小高い大きな岩の上に、亡くなったはずのお爺さんが、白衣を着て姿を現しました。お婆さんは、思わず、はっとしました。そして我に帰られた時、はじめて眼を覚ましました。今のは夢だったのです。
けれど、お婆さんは、これはきっと何かの知らせにちがいないと思いました。それから七日間、あんな寂しい、しかも寒い冬の日に、じっと石の上で、何も食べず、何も飲まずに、行をして、寒いことも忘れて祈り続けました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱える弱々しい声は夜になっても止みませんでした。
通りかかった村の人たちが、これを見つけて驚きました。心配して止めさせようとしましたが、お婆さんは、ただ数珠を持って、頭を下げるだけで、一向に聞き入れそうにありません。村の人は「これは行をしておられるのだな。偉い、さすがおのぶさんだ。」と思いました。親切なこの村の人は、家に帰って、御飯を持ってきてやりました。けれども、お婆さんは手をつけようともしませんでした。
頬の肉はすっかりおちて、ちょっと見ると生きているのか、死んでいるのか分からない程になりました。昨日の人が告げたのか、大勢の村人がやってきました。そして、皆もう止して家に帰るようにと、進めますけれども、お婆さんは、前の通り頭を下げるだけです。
他人から見たら、もう死んでいるとしか思われませんが、婆さんは、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言う度毎に精神がしっかりしてくるのでした。とうとう最後の日の七日目が来ました。
お婆さんは「今日で最後だ。」と思いながら、なお一心に祈っています。暗い夜もほのぼのと明けてまいりました。
陽ははるか、彼方の山の端から平和な村へ光を投げかけました。その瞬間です!!
今の今まで、塞がっていた、潰れたはずの眼がぱっと開きました。今まで見えなかった眼に、さっと明るい朝の光がはっきり写りました。
それにまだまだ不思議なことには、大きな岩の上に、弘法大師様のお姿が見え「南無阿弥陀仏」と岩に掘られた六字が、はっきりと陽に照らされてわかるのです。お婆さんはただもう、有難くて泣き崩れました。
やがて、村の人たちが、どうなっているだろうと、気遣いながら、来て見ると、昨日まで塞がっていた、お婆さんの目が開いて、其の瞳さえ光っているではありませんか。
お婆さんは、今まで親切にしていただいた御礼を言って、さっきの事を話しました。
村人共も、皆この不思議に驚きました。そしてお婆さんの信心がそうさせたものだと思って感心するばかりでした。
そのうち、不思議なことが起こりました。さっきまで朝日に照らされて、はっきりと分かっていた六字の名号が見る見るうちに見えなくなったのです。けれどそれも二・三日の後にわかりました。
それは、お婆さんが見たと同じ時だけ名号が現れるのです。それから後、誰言うとなく「朝日の名号」と呼ぶようになりました。
皆さんの中に、まだ見たことのない人があるなら、一度行って見なさい。きっと、南無阿弥陀仏の六字の名号がはっきり見られるでしょう。しかし朝早く陽の上がる時刻でなければみられません。参考図書:島村郷土読本 第二十四課 朝日の名号 より
Posted by ゴンザレスこと大西實 at 14:07│Comments(0)
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